こんにちは、まろです。
もしジャグリングやステージでのパフォーマンスに感動した後に、その演技やアイデアの大部分が他のアーティストのコピー、パクリだったと知ったらどう思いますか?
東京五輪のエンブレム盗作問題なども記憶に新しいですね。
最近ジャグリング界でアイデアのパクリやコピーの問題に関する議論を目にしたり、質問をされたりという機会があったので「オリジナルの演技」について、個人的な考えをまとめておきます。
これは「オリジナル」という点についての話なので、歌舞伎やクラシック音楽、バレエなど、筋書や楽譜、振付けがあるものや、サーカスなどで受け継がれた伝統芸、定番のネタや口上、流れというような点についてはまた別の話です。
共通する部分は大いにあるとは思いますが…
アイデアのコピー問題は一般的な話ですが、今回の話は「サーカスやステージでプロとしてのジャグリング」についての話です。
目次
1.ブダペストサーカスフェスティバルでのコピーアクト
今回この記事を書こうと思ったきっかけの一つです。
今年ハンガリーの首都ブダペストのサーカスフェスティバルにエントリーしたジャグラーが、Cirque du Soleilのトーテムのオリジナルキャスト、Greg Kennedyの透明三角コーンの中でのジャグリングと、Michael Motionのトライアングルバウンスジャグリングのアイデアをコピーしてフェスティバルに参加して、それがジャグリングコミュニティで大きな議論を巻き起こしました。
Greg Kennedy
コピーアクト
Michael Motion
コピーアクト
・問題はコピーかどうかよりも、コピーは許されるのかどうか
ブダペストでのケースは道具も演技もコピーと言って差し支えない内容かと思います。
ジャグリングコミュニティでの議論は「盗みだ」という人たちと、「問題ない」という人達に二分されました。
昔から繰り返されてきた議論ですが、個人的には「盗みだ」と思う側だったので「問題ない」という意見の多さ、主張の強さに驚きました。
印象としてはプロフェッショナルとしてパフォーマンスをしているジャグラー達は「盗みだ」という意見がほとんどだったように思えます。
問題ないという人達の根拠は「世の中に完全にオリジナルなものはない」「アートはコピーから発展している」という部分が強かったでしょうか。
世の中に完全にオリジナルなものはないというのは一理あるし、アートはコピーから発展しているということも事実だと思います。
それでもブダペストのケースが議論を呼んだのは、特定の個人と結びついているオリジナル道具やコンセプトをコピーした側が、そのアイデアを自分のものとしてフェスティバルに出場したからです。
自宅で趣味で道具を真似したり練習する分には問題はない、でもそれを自分のアイデアとして仕事をするのは駄目だ、という意見も強かったかなと思います。
2.オリジナル道具のコピーについて
・観客との情報量の差を利用して独創性を装うコピーフォロワー
オリジナル道具ということについては、いわゆるジャグリング道具ではないものを扱ってみたり、マニピュレーション系の道具を誰かが自作したりというのが最初のオリジナルになり、世の中に広まるにつれてジャグリングメーカーなども制作、販売するようになるというパターンが多いです。
世の中では見慣れないので、「独創的だ」「新しい」「不思議」「すごい」と評価されやすいですが、少なくとも道具については最初の一人だけがオリジナルで、あとは「独創的に見えるコピーフォロワー」です。
特にひどいケースは今回のブダペストのように観客との情報量の差を利用して「自分はオリジナリティのあるアーティストだ」と振る舞うことです。
そのコピーフォロワーには残念ながら独創性や創造性は全くありません。
・ではボールやクラブ、リングはコピーではないのか?
すでに一般化している道具について「自分はオリジナリティあふれるボールという道具を使います」とアピールをする人はいないと思います。
一般化している道具については道具そのものではなく「その道具を使ってどのような表現をするか」という点でオリジナリティを表現しているはずです。
例ばギターを弾いたからといって「ギターをコピーした」とはならず、「彼はかっこいいフレーズを弾くね」と評価されたり「どこかで聞いたことのあるようなプレイだね」など、その道具でどのような表現をするのか、というようなことが評価されます。
技術についても、絵を描くときに「遠近法を使っているからパクリ」とか、バレエダンサーが「回転をしたから物真似」とはならず、様々な技術を身に着けていることが前提で、その上で何を表現できるのかということが大切になります。
一般化、確立された道具や技術を使うことと、目新しい誰かのアイデアを使うことは別問題です。
道具に限らず「一見独創的に見える技、キャラクター、演技、コンセプト」など、同じような話は他にもいろいろありますが…
3.模倣と上達、発展
・初心者にもオリジナリティが必要なのか?
どのような芸術でも、最初は先生や先駆者の作品、演技の模倣から入ります。初めて作曲をした人が、プロも聞いたことがないようなオリジナリティあふれる曲を作ることは難しいでしょう。
数えきれないほどの基礎練習や模倣を通じて技術や型を覚え、それを自分のものに発展させていくということが典型的な芸事の習得パターンではないでしょうか。
その意味では模倣、コピーは悪ではなく、むしろ先達から積極的に学ぶことは正しい姿勢です。ただしそれはあくまで学びの初期から中期についての話で、最終的には型の中でも自分だけの表現を追求していくべきです。
「うけるから」「仕事になるから」とどこかから持ってきたアイデアを自分のものとしてステージで演じてしまう姿勢は、表現者、アーティストというよりも、「流行の商品を後追いする商売人」といったところでしょうか。
4.著名ジャグラー達のコピーに関する発言
・Viktor Kee
Cirque du SoleilのDralionやAmalunaへの出演、アメリカズゴットタレントのファイナリストなど、サーカス界のスーパースターであるViktorに2006年ベルリンで会った時、彼は「コピーは醜い。発展させることは美しい。」と言っていました。
・Alexander Kiss
ソ連時代の伝説的なジャグラー、Alexanderは著書の中でコピーについて「サーカスは芸術であり、工業ラインではない。芸術家としての仕事の全ては独創性とユニークさで判断される」と述べています。
・Jason Garfield
純粋なジャグリングの技術をスポーツとして競う団体WJFの設立者であるJasonは著書の中で、他人のコピーをしているジャグラー達の実名を挙げて辛辣に批判しています。
・Jay Gilligan
数々の先鋭的なジャグリングで有名で、現在はスウェーデンのサーカス学校DOCHのメインジャグリング講師。今回のハンガリーのフェスティバルでのコピーについて、ジャグリングコミュニティに「絶対にOKではないし、本当にいやな気分だ」と問題提起したのはJayでした。
・Greg Kennedy
今回コピーされたGreg本人も議論に登場し「自分が長い年月をかけて作り上げた演技をコピーされるのは良い気分はしない」といった発言をしています。
5.コピーなのか発展なのか、その基準は?
僕の個人的な意見としては「もしその演技をオリジナルのアーティストの目の前で、オリジナルにも認められる内容として堂々と胸を張って演じることができるなら、それは健全なアートの発展の一部。もしオリジナルのアーティストの目の前で少しでも後ろめたさや恥ずかしさなどを感じるのであれば、それが盗みであることを自分自身が知っている」ということです。
6.アーティストとしてとるべき道
ある程度の演技は、パズルを組み合わせるように演技のブロックを組み合わせるような方法論、手法で作ることができます。
実際世の中のほとんどのものは、すでにあるアイデアの組み合わせやかけあわせでもあります。
とはいえ、たとえ世の中に真にオリジナルというものが存在しないにしても、それでもアーティストとしてオリジナルを追求しようという姿勢が大切なのではないでしょうか。
簡単にコピーできることは簡単にコピーされるし、必ず新しい世代に凌駕される。
長い目で見た時にはやはり自分にしかできないことを持っている人の評価が残っていきます。
7.まとめ
アーティストにも生活はあります。
それでも何かを見た時にこのアイデアいいねとすぐに真似をするのではなく、むしろこのアイデアはすでにやっている人がいるから使わないという判断ができるかどうか。
またはこのアイデアは面白い、こうやったらさらに発展させることができるかもしれないと、単純なコピーは絶対にしないという姿勢。
仕事としての合理的な判断であれば、より観客にうける方法を選ぶことに善悪はないし、アーティストのアイデアに法的保護がある訳でもないので、結局はアーティストとしてのプライドの問題。
理想だけでは生活ができませんが、簡単な方法、利益の追求だけではアートではなくなる。
アーティストとしての生き方、表現をしながらも、第三者的な視点として観客を置き去りにしないバランス感覚を持つことが一番理想的だと思います。
せっかく自由に生きられる道を選んだのだから…